西方寺

阿弥陀如来立像

2022年6月5日の奈良新聞に掲載されました 毎月第一日曜日に奈良県内の仏像が紹介されています。

 

西方寺

2021年1月1日

2021年1月1日

2019年7月16日

2021年1月1日

2021年1月1日



西方寺の灯籠

2019年3月9日





天台真盛宗 総本山 西教寺 (滋賀県大津市坂本)

西教寺 総門    天正年間(1573-1593)に坂本城主明智光秀が、坂本城から移築した

西教寺 本堂

真盛上人の六字の名号

西教寺  大本坊

 

天台真盛宗 本山 西蓮寺 (三重県伊賀市長田)

西蓮寺 石段

西蓮寺  真盛上人本廟 

西蓮寺 本堂

 

天台真盛宗の総本山と本山


西方寺は天台真盛宗の末寺です。 本山(別格中本山)の西蓮寺は伊賀市長田にあります。 総本山の西教寺は滋賀県大津市坂本にあります。 天台真盛宗の祖真盛はこの寺で没している。 天台系の宗派は三本山があります。 山門派(比叡山延暦寺)・寺門派(三井寺)があり、密教色が強い。 馴染みが少ないがもう一派あり、中興の祖として真盛が西教寺(天台真盛宗総本山)に入り、阿弥陀如来を本尊とする。 浄土的色彩が濃い。 「戒律」と「念仏」 の両方を重視するため、念仏でも法然と親鸞の教えとは異なる。 本山(西蓮寺)では伊賀教区に西方寺という名の寺が他にあるので大和西方寺とよんでいました。  西教寺は正式名称が「兼法勝西教寺(けんほっしょうさいきょうじ)」です。 京都の旧法勝寺の寺格を引き継いだ寺院です。 応仁の乱までの京都は法号に「勝」の字をもつ六山の勅願寺があった。 法勝寺は現在の京都市動物園の北側辺りにあったと考えられる。 京都検定に出てきそうな内容です。 六勝寺の寺院名を述べよ。 法勝寺(最初に建立され、最大のものであった)・尊勝寺・最勝寺・円勝寺・成勝寺・延勝寺。 左京区岡崎に法勝寺町という町名が残る。 法勝寺跡には八角九重塔(推定81mの高さ)の跡が残っている。 醍醐寺の五重塔が42mなのでかなり大きい。

2019年3月12日



涅槃図

西方寺には阿弥陀如来立像以外に涅槃図があります。 参拝の方は阿弥陀如来立像が目的で壁に掛けた涅槃図にはあまり興味がなさそうである。 正絹で作成された絵でそれなりに価値があります。 詳しくは資料収集後に説明します。 元々あった絵は五島博物館にあるようで、ここにあるのは昔の住職に入れ替えられたものだそうです。 元は猫がいて、この絵は猫がいないそうです。 私はまだ確認していません。 先日、京都の仁和寺付近にある転法輪寺で猫のいる涅槃図を見てきました。
沙羅双樹・・・・8本あって、右側の4本が枯れている 
アナン尊者・・・悲しみのあまり卒倒している十大弟子
摩耶夫人・・・・右上から雲に乗ってやってくる人  
猫とネズミ・・・色んな動物がいるが、後世の絵には猫がいない 
ジュンダ・・・・釈迦はジュンダ(チュンダ)の食事が元で亡くなった 
アヌルダ尊者・・アナン尊者を介抱している十大弟子 
スジャータ・・・釈迦の体に触れている老女 
薬袋・・・・・・摩耶夫人が投げたものが沙羅双樹に引っかかっている
アナリツ尊者・・摩耶夫人を先導している十大弟子(アヌルダ尊者と同じ人)
韋駄天・・・・・鬼の姿で描かれている

2019年3月10日



灯籠

灯籠のご寄付をいただきましたので、報告させていただきます。 夜に、ロウソクを始めて灯させていただきました。 ここに、お寺があったと思い浮かべることができます。

2019年3月9日



御朱印

ブームに乘るわけではありませんが、参拝にお見えの方にご質問を頂くことがありますので、御朱印の準備はできております。 朱印帳に直接書くことはできませんが、ご参拝の記念にお問い合わせがあればご用意いたします。 因みに、右上に「アン阿弥陀佛:アンは梵字ですが通常のアンではありません」札所ではありませんので「奉拝」の横にずらして「アン阿弥陀佛」の印、中央には阿弥陀如来の梵字(一般的には四角形か炎の中に入っていますが、八角形になっています)、左下に寺院の角印「日岡山西方寺(正しくは日岡山極楽浄土院西方寺)」

2019年3月9日



御朱印

西方寺の見学に来られる方に「御朱印」の事を聞かれます。 朱印帳に書くことはできませんが、単体でお渡しすることができます。 はんこのみの捺印も可能です。 他の寺院と同じように印は三種類あります。右上に「アン阿弥陀仏」アンは梵字です。 真ん中に「八角形の阿弥陀如来」八角形の印は他に見ません。 左下に「日岡山西方寺」。

2019年3月5日



西方寺の案内文書

檀家総代代表の依頼により今まで使用していた案内文書が古くなってきたので、作成し直ししている。 文書の内容を見ると20年以上は経っているようだ。 バス路線も行先やバス停の名前が変わっている。 仏像の写真も真っ黒けでよくわからない状態である。 プロ(仏像写真の専門家)からいただいた写真があるので、案内文書に取り込んだ。 何といっても連絡先が、今はおられない人になっていた。 旧の案内文書を見ているとワープロで入力した感じである。 今はパソコンとアプリがあれば簡単に文書が作成できる。

2019年2月7日



西方寺の拝観

一昨日の1月26日はクラブツーリズムのお客様が拝観にお見えになった。 阿弥陀如来立像の説明係を担当していたが、収蔵庫内は狭いので何度も入場者の入れ替え・再入場で正直45人とは聞いていたが何人か良くわからなかった。 奈良国立博物館の快慶展に5回も行かれた方がおられたようである。 ほとんどがマニアの方のようで詳しい説明はほどほどにして、お寺の事・仏像の写真家の話などをした。 火事の時に3尺の仏像を背中に背負って逃げた話などは当然であるが皆さんは知らないようであった。 収蔵庫の中には涅槃図があるのであるが、誰も関心が無いので説明をしなかった。 5・6人ぐらいであればもう少し詳しく話ができたと思う。 話は関係ないが、4月から任期2年の山添村の文化財連絡員になる。 文化財の対象となりそうなものを写真撮影したり、高さ奥行きなどを計らなければならない。 今まで誰も手掛けなかったのが不思議である。 西迎寺の本尊である十一面観音も村指定ではないが、地元の文化財である。

2019年1月28日